-toppage-

eramakerシステムを作るとき考えたこと -2-

ゲーム論 コメントなし

前回(eramakerシステムを作るとき考えたこと -1-)

 

絵が描けないことからスタート

素質について

 eramakerを作ろうとした最大の理由は「絵がなくても楽しめるシステムを作る」だった。私自身絵が描けなかったからだ(その後3Dを使うやり方に出会い、いくらか状況はマシになったが……)。

 が、アダルトゲームのほとんどの歴史は絵(CG)と共に歩んできたものである。テキストやシステムで魅せるタイプの作品があっても、やはりその基本は「ご褒美としてのHシーンCG」だった。いわゆる泣きゲー全盛期には「Hシーンがなくてもいいのでは?」と言わせるような作品もあったが、そういう作品であってもCGの重要性が失われたわけではなかった。CG抜きでユーザーのプレイ意欲をかき立てることはなかなか難しいことである。

 とはいえ、二次創作小説などは挿絵ナシでも読む人がそれなりに存在する。原作に存在する魅力的なキャラ絵への想像力をベースにして、絵を“脳内補完”することができるからだ。完全オリジナルで絵もないテキスト作品……となると難しいが、いわゆるエロパロなら可能性は残っていると私は考えた。

 

査定文化というヒント

 そこでもう1つ参考になったのが、とある有名スポーツゲームの選手能力を「査定」している人々の存在である。そのスポーツゲームは毎年発売されるのだが、春先に完成したゲームはその年に選手がどれだけ活躍するか推測しかできないため、シーズンが進むほどに「このゲームほど今年の○○は強く(弱く)ない!」といった不満がユーザーに募っていく。また、そもそも開発サイドがその選手のことをよく知らないために頓珍漢な能力設定をされているようなケースもある。こういう不満を解決するため、インターネット上で自分なりの「査定」を示したり、妥当な能力を探るため議論を交わしたりするコミュニティが存在する。

 この「査定」を調教SLGに持ち込む。自分の好きなキャラが調教SLGにおいてはどう表現されうるか考える。これは、非常に想像力をかきたてる作業である。

 また、絵・文章・プログラミングといった作業に比べれば「査定」は負担が少ない。自分なりに能力を「査定」したキャラクターに差し替えるだけで別物のゲームのように遊べるなら、多くのユーザーに受け入れられる、想像力を喚起するゲームになるのではないかと私は考えた(もちろん、ゲームシステム自体の新奇性がなければダメなのだが)。

 ただスポーツゲームと違って、基礎パラメータ(例えばスポーツゲームなら「パワー」や「走力」、調教SLGなら「従順」や「技巧」など)で査定していくのはちょっと調教SLGにおいては不自然である。無垢なキャラを染めていくのが調教SLGの基本なのだから、基礎パラメータで変化をつけるのは限界があると言わざるを得ない。そこで「素質」システムを導入し、そのキャラはどのようなパラメータが上がりやすいか、上がりにくいかといった特徴づけができるようにした。「臆病」ならムチなどで屈しやすく、「A敏感」ならアナル調教で屈しやすい。こうすることによって、初心者が見た場合もどういうキャラなのか想像しやすくなった。体力2500、C感覚LV2と言われても最初はピンと来ない人が多いだろうが、「気丈」「男嫌い」などならすぐイメージが沸く。また、ゲームをプレイする上でも「このキャラにはこういうやり方をすればいいのだろうな」とユーザーに「とっかかり」を与えうる情報となった。

 素質システム自体は初代era(痕era)の段階ですでに導入しているシステムではあったが、キャラ固定の初代eraと違い、eramakerという汎用システムにしたことで重要性が増したと言える。

 なお「処女」については素質とせず「V経験が0」ということで表現しても問題なかったのだが、表記のインパクト、先述した「素質の並びを見ただけでキャラの雰囲気が想像できる」点を重視して素質扱いとした。「オトコ」などの存在は役に立つ日があるのかだいぶ疑問だったのだが、今では女性向けバリアントなどで立派に活躍しているようである。

 

実際は?

 実際のところは素質による査定だけでユーザーを惹きつけるのは難しく、eramakerの人気が高まるのは口上(キャラの台詞)が充実したeratohoなどが出てくるのを待たなければならなかった。「SS作家など、エロパロ系の文章書きの人が活躍する場を作りたい」というのもeramaker開発の重大な理由の1つだったが、実際のところはそこまで入れ込んでeramaker用の文章を書いてくれる人はいないだろう、素質をいじるだけのカジュアルな作り方をした作品が多くなるだろう(ましてERB, erabasicを覚えていじる人など極めて少数だろう)というのが私の予測だった。

 しかしこの予測は全くの間違いだった。eramakerの発展は文章を書く人の情熱なくしてあり得なかったと言える。簡易プログラム言語であるERBを書く人も想像していたよりずっと多く、システム部分にも大いに変更が加えられた。今ではERB自体が拡張されて、元々のERBになかった構文すら存在しているようだ。

 もっとも、eratohoをベースに別の作品のキャラへと差し替えるだけでもそれなりの支持を受けているケースはあるようだし、そのうちに口上作者が登場して発展していくといったケースもあるようだ。名前と素質を変えるだけでもそれなりに楽しめるeramaker、というコンセプトは一定の成功を果たしたと言えるかもしれない。

 

前回(eramakerシステムを作るとき考えたこと -1-)



(コメントをどうぞ)