サッキュヴァス・セリカ 〜淫魔の呪い〜 その3

 きこ…きこ…
 ミュークがいなくなった部屋で、セリカは風にゆられる木窓の音を聞いていた。
 そうすると、セリカから久しく失われていた落ち着いた思考が戻ってくる。ミュークの読心能力がどれほどあるかは定かではなかったが、セリカの視界の中に存在していないと言うだけで、多少の安心感は得られるのである。
 ショールゥの洞窟に向かう道。ショールゥの洞窟の中。ショールゥとの対峙。そして、陵辱…
 この街に帰ってくるまで。宿に入るまで。宿の受付でのあかりとの会話。部屋に戻ってきて、自慰…
 その後、ミュークが出ていった。
 あまりに多くのことが起こった一日も、綺麗な時系列に整理することができた。セリカは、その事に対して逆に気味悪さを感じた。
 むしろ、ぐちゃぐちゃの混沌としたイメージでしか捉えられない方が、セリカを納得させたかもしれない。セリカの置かれた状況の変化と受けたダメージを考えれば、確かにセリカは冷静すぎるように思える。
 と言っても、落ち着いている人間が自ら取り乱すことなど出来ない。規則正しく思考の表面に上がってくる痛みを、ただただ受け止めるしかないのである。
「ふぅ…」
 セリカはため息をついた。だが、普段の声と同じように極めて小さな吐息でしかなかったので、あまり落ち込んでいるという風には見えなかった。
 さぁぁ…
 不意に、少し強い風が部屋に流れ込んでくる。
 きぃっ…
 木の窓が大きく揺られた。ばたんっと窓枠を叩いてから、またきこきこと揺れ始める。
 セリカの肌を、爽やかな空気の流れがすべり抜けていく。長いポニーテールがわずかに動き、前髪はふわふわっと浮き上がって少し乱れる。
 物憂い仕草で前髪を下ろしながら、セリカはまた一つの想いに思考を奪われる。…あかり。
 その言葉を浮かべただけで、胸が締め付けられる。どうしようもない。
 しかし、ここまでの状況を鑑(かんが)みれば、その恋心がセリカ自身の心の動きによるものなのかも極めて疑わしくなってくる。セリカの精神は、ある程度までは確実にショールゥの支配下にあるのだ。
 それがどこまでなのかは分からない。実は、セリカが自意識と思っているのは完全にショールゥにコントロールされている幻想なのかもしれない。あるいは、ごく限られた状況でしかセリカの精神はコントロールされていないのかもしれない。
 かすかな憧れを抱いていたもの、人間としての深淵なる感情としての恋。セリカが、それに無条件の信頼を置くことが出来なくなったのは確かだった。セリカの心は冒され、犯されたのだ。
 そう思うと、セリカは自分の身体が自分のものであるという事がうまく飲み込めないようになってきた。身体と意識の結びつけが難しくなるのだ。精神病理学が存在していたなら、離人症の初期症状という判断を下すだろう。
 かちゃ…
「お待たせ」
 セリカはドアの方を向く。そこには黒猫ミュークの姿があった。不思議なことに、ミュークを見た瞬間セリカの感覚は通常通りに戻る。
「……」
「秘密だよ。すぐ分かるけどね」
 …会話かも知れない。会話が、セリカの感覚を普通のものに戻したのかもしれない。
 ミュークはぴょんとテーブルの上に飛び乗ると、ごとりと音を立ててカップを置く。
 セリカはテーブルに近寄った。カップの中身は空になっている。
「一応言っておくけど、洗わずにこのカップで水飲んじゃだめだよ」
「…」
「それもそうだね」
 ふぁぁ、とミュークがあくびをする。
「寝ようかな」
「……」
「そりゃ寝るよ。寝なくてもいいんだけどね。寝た方が気持ちいい」
「…」
 とっとっ。
 ミュークはゆっくりと歩いてベッドに向かう。
 ぴょん。
 ベッドに飛び乗ったところで、またミュークはあくびをした。
 ふぁ…
 つられて、セリカもあくびをしてしまう。
「セリカも寝たら?疲れたでしょ…」
 こく。
 小さくうなずき、ぱちぱちと大きくまたたきを二回してからベッドに向かう。
 セリカはベッドにころんと転がりながら、足の方に畳んであった掛け布団を引き寄せた。掛け布団の下敷きになったミュークがもぞもぞと這い出してくる。
「おやすみ」
「…」
 ミュークは掛け布団の隅で丸くなった。セリカも瞳を閉じる。
 涼やかな風と清潔な布団。意識していない疲れも溜まっていたようで、セリカはすぐに眠りの中に落ちていった。


 セリカが目覚めたのは夕方だった。昼間より、だいぶ冷たくなった風が吹き抜けたのだ。
「ん…おはよう」
 同時にミュークも起きて、伸びをする。
 布団の中から窓の外に目をやると、既に薄闇の世界が広がりつつあった。やや肌寒い。
 セリカは床に降りて、窓を閉めに向かう。
 ばたん。
「…!」
 同時に、セリカは中サイズの光球を部屋の真ん中に生んだ。と言っても、普通の人間から見れば随分と贅沢な照明である。
「よく寝れた?」
「……」
「まぁねぇ、疲れもするよね」
 ううんっ、とセリカも両手を組んで伸びをする。
 はぁっと息を吐き出しながらセリカがミュークを見ると、どうやら部屋を出ていこうとしているようだった。
「…」
「違うよ、ご飯じゃないよ」
「……」
「待ってて。すぐ帰ってくるよ」
「…」
 またドアの隙間をくぐって出ていってしまう。
 とりあえず、セリカは壁の服掛けにひっかけておいたマントを羽織った。魔法で寒暖の差をつける事もできるのだが、大した温度差でなければ服で調整した方が早い。
 特にすることもないので、セリカはベッドに座ったままぼうっとしていた。寝起きなので、思考がぐるぐる回り出すこともない。半分寝ているみたいなものだ。
 木窓をがたがたと風が叩く。思ったより強い風が出てきたらしい。一応、すきま風が吹いてくる事はないようだった。外を歩く人も、各々の家路につき始めるところだろう。あるいは、宿を探し始めているところだろう。
 そうしていると、セリカは空腹感を覚えてきた。かなり早めの昼御飯を食べて以来、何も口にしていない。そしてエネルギーを消費する行動については、思い当たるフシがいくつもあった。
 セリカは夕飯がどれくらいになるのか聞きに行こうかとも思った。だが、ミュークがまだ帰ってきていない事を思いだし、やはり部屋にとどまる。
「おまたせっ」
 ミュークが小走りに部屋へ走り込んできたのは、それからだいぶ経ってからだった。
「ご飯、今準備していたから、もうすぐじゃないかな」
 こういう時には、読心能力は便利である。
「しかし、まだだったか…いつ帰ってくるのかな」
「……」
「まぁ、今晩中にわからないって事はあり得ないからね。『すぐわかる』ってのは嘘じゃないよ」
「…」
「とりあえず、ご飯は普通に食べてこれるはずだよ」
 たったっ。
 ミュークが言うと同時に、階下から走る音が近づいてくる。
「お客さん達、ご飯ですよ〜」
「ほらね」
 あかりの声。
 どき…
 セリカはミュークから視線をそらして、顔を赤らめる。
「いってらっしゃい。あかりちゃんが待ってるよ」
「……」
「ボクは…どうしようかな」
「………」
「そう?ありがとう、セリカ」
 かたっ。
 セリカはスタッフも持って行く事にした。使う機会があるとも思えないが、ごく稀に騒動に巻き込まれる事があるのだ。宿の食堂であろうと、夜の商業地区の小道であろうと。
 かちゃり…ばたん。
 扉を開けて、丁寧に閉める。そして、すぐの所にある階段を下り始める。
 セリカは、あかりとどう接すればよいのかという事だけを必死で考えていた。声を聞いただけで、顔を想像しただけで、セリカの想いは舞い上がってしまうのだ。間近であの顔を見たら、どうなってしまうのか。
 恐怖にも似た期待の気持ちが膨らんでいった。もはや、嫌なのか嬉しいのかすらわからない。
 階段を下りきると、食堂の方に向かう人間が何人かいるのが見えた。食堂の方からは、既に喧噪が聞こえてくる。
 泊まり客だけではない。食事だけをしに来ている人間も多いようなのだ。食堂の広さも、宿泊スペースより広いのではないかと思うほどだ。料理の腕は間違いないようだった。
 セリカが恐る恐る食堂に入っていくと、ほとんどのテーブルは客で埋まっていた。セリカは泊まり客用になっている奥のテーブルに向かう。
 騒がしい客の話し声、笑い声、注文をしようとしている声の中、
「はい、シチューとパンのお代わり3つですね!ちょっとお待ちくださいっ」
 …いた。
 エプロン姿のまま注文を受けて、厨房の方に走っていった後ろ姿。あかりに違いない。
 がた。
 セリカは用意された一人用の小さなテーブルについた。
 あかりがセリカに気づいたなら、料理を持って来るに違いない…そして、頼むことがある…
 赤らんだ頬のまま、セリカはちらちらと厨房の方に目をやっていた。
 なかなかあかりは出てこない。段々とセリカはもどかしくなってくる。一目でもいいから見たいという、切ない気持ちが胸に染み通っていく。
「はーい、お待たせしましたっ」
 そんなセリカの気持ちに気づくはずもない明るい声。
 あかりは盆の上にいくつもの皿を置いて走ってきた。セリカのテーブルのところに来る前に、食事客のテーブルに3つ、それから1つ…そしてセリカのところにやってくる。
「お待たせしました、どうぞ」
 かちゃ、かちゃ、かちゃりっ、とん。
 セリカのテーブルに、あかりは手際よく赤みのかかった豆のスープとパン、肉のソテー、水のコップを並べていく。その間、セリカはじっと下を向いていた。
「ごゆっくり」
 あかりが厨房に戻っていきそうになる。
「……!」
「え?」
「…」
 顔を上げて、精一杯大きな声でもう一度言う。ほとんど変わらない音量だったが。
「なんですか?」
 あかりはセリカの口元に耳を近づけてくる。セリカは顔から火が出るかと思った。
「………」
「猫ちゃんですか?」
 こくこく。
「わかりました、用意しておきますね」
 にっこり微笑んで、あかりは今度こそ厨房の方に戻っていく。
 はぁ…
 今日何度目かになるため息をついてから、セリカは木のスプーンでシチューをかき回す。やっと終わったという安堵感が一段落すると、今度はあかりに対する想いが痺れるようにセリカを支配する。
 そう。優しい娘なのだ、あかりは。あの態度は、客に対してというだけではない。普段から人に優しくしていなければ、あんな態度がとれるわけはない。
 ショールゥやミュークの術はきっかけになったかもしれないが、あかりに対する恋心はセリカの持っていた本当のものなのではないだろうか…
 シチューをかき回す動きと同じような環状の思考だった。何度やっても同じ所に戻ってきて、答えが出てこないのだ。
「魔術師さんっ」
 !
 セリカは驚いて顔を上げる。
「あ…何か考えてました?すいません」
 ぶんぶん。
 もう一つシチューの皿を持ってきてくれたあかりに対し、セリカは首を大きく振る。
「そうでした?だったら、いいんですけど…」
 かちゃりと皿をテーブルの隅に置く。
「猫ちゃんですよね?熱々じゃなくなっちゃいますけど、猫ちゃんなら大丈夫ですね」
 こく。
「じゃあ、うちの自慢のシチュー、熱いうちに食べてくださいね。魔術師さん」
 そして、あかりはまた厨房の方にとって返していった。
 あかりのセリカに対する呼称が、「魔術師さん」になっていた。確か、前は「お客さん」だったはずだ。
 その変化に有意味なものを見いだせるような、見いだせないような、複雑な感情に囚われつつも、セリカはあかりの勧めに従ってシチューを食べ始めた。
 やはり、昨日までよりも美味しく感じられた。


「うーん、おいしいね。このシチュー」
 ぴちゃぴちゃとシチューを舐めながら、ミュークが言う。
「……」
「失礼だなぁ…味くらいわかるよ」
「………」
「ボクに聞かれても困るよ…猫と同じところは同じだし、違うところは違うし。ショールゥ様に聞くしかないね」
 セリカは、結局夕食を全部食べてしまっていた。昨日までは多少残し気味に食べていたのだが、そんな事はもう出来なかったのだ。忙しく働いているあかりを横目で眺めつつ、セリカは熱い想いを感じていた。
 食べた後もかなりの間食堂にいたため、お腹の具合はもう満腹というほどではない。それでも、セリカは食休みのつもりでベッドに座っていた。
「そうだね。お腹いっぱいで動けないっていうんじゃ困るよ」
「……」
「すぐだよ。もう、本当にすぐ」
 ミュークはシチューを舐める動きを止めずに言った。
 セリカはもはや詮索する気も無くしていた。ただ、あかりの見せた表情や言葉の想い出に酔っていた。
「幸せそうだね」
 気にしない。
 ミュークも、シチューを食べ終わるまでそれ以上言葉を吐こうとしなかった。
「ふぅ。ごちそうさま。あの子、料理上手いんだね」
「………………」
「いや、ボクが見てきた時は、あの子も料理してたよ」
「…」
「んじゃ、また偵察かな」
 食べた後という素振りなど微塵も見せず、ミュークはととっと駆け出す。ドアの隙間から出ていく。
 セリカは何も言わなかった。あかりの想い出に浸る邪魔者がいなくなった程度にしか思わなかったのだ。
 ミュークが出て行ってからしばらく経って、
 たたたたた…
 階段を駆けてくる音。
「セリカっ!」
 ミュークが頭をドアにぶつけそうな勢いで部屋に駆け込んでくる。
「…」
「始まったよ!来てっ」
「……」
「だから、セリカの身体で分かる時が、ついに来たんだよ」
「………」
 釈然としない顔をしながらも、セリカは立ち上がる。
「はやくはやくっ」
 急かすミューク。セリカはスタッフをつかんで、部屋から飛び出したミュークの後を追った。
 とんとんとんとんとん…
 階段を駆け足で下りていく。
「こっちだよ」
「……」
 ミュークは、宿の受付の中に入っていった。
「大丈夫、今は誰もいないんだ!さ、こっち!」
「…」
 セリカはミュークの後を追って受付の中に入る。奥にある通路は、まっすぐ行くと厨房につながっているようだった。だが、ミュークは通路を横に曲がる。ランプがぼんやりと照らしている暗い通路だった。
「足音は立てちゃだめだよ…」
「……」
「人がいないってのは、受付の話。この奥の部屋には人がいるんだよ」
「………」
「すぐだよ」
 セリカはミュークの言うとおりに足音を殺した。通路はまっすぐ。左側に、一つドアがあるのが分かる。
「ここじゃない。もっと先」
 二人はこそこそと先に進んでいった。ほどなく通路は行き止まりになっていたが、その右にドアがある。
「ここっ」
 ミュークはセリカを誘導して、ドアの前に立たせた。
 セリカは困惑した表情で、横にいるミュークを見下ろす。
「ミュークっ」
 自分の名を言う。すると、伝導液と愛液の混合物に飛んだのと同じような光がミュークの額から生まれ、セリカの額に収束する。
「……?」
 反射的にセリカは身体をそらした。額の部分にじんじんと痺れる感覚。魔素の移動に抵抗力のあるはずのサークレットを、ミュークの光線はやすやすと通り抜けている。
 瞬間。
「…あ…んあ」
 何かの声が聞こえてくる…
「あ、ああ…浩之…ちゃん…」
 …あかり!?
 セリカの耳に突然聞こえ始めたのは、あかりの声だった。
 切なそうな、物欲しそうな…
 同時に視界がゆがみ、別の光景が見えてきた。同じように薄暗いところ。部屋の中、らしい…その端に置かれたベッド、その上に横たわる少女…
「ふわっ…ひ、浩之ちゃん…だめっ…」
 赤髪のショートカット…あかりだ…
 その指が…あかりの秘部を繰っていた。
 どき…どき…
 聴覚を支配され、視覚を支配されているにも拘わらず、セリカは自らの拍動だけはしっかりと感じ取っていた。いや、視覚と聴覚が他者の支配に移ったからこそ、身体のもたらす反応により敏感になっているのかもしれない。
 見られているはずがないと思っているのだ…あかりは。恥じらいもなく足を大きく開き、秘裂の中に入れた指を一生懸命動かしている。片方の手は、服の上から胸を揉み上げている。
 恍惚とした…と言うより、むしろ欲望の色に染まりきった表情。それから、
「あ…浩之ちゃん…ん…いいよぅ」
 幾度も出てくる、あかりの愛(いと)しき人と思われる名前。閉じた目の中には、その夢想があるのだろう。
 そこまでで、ふいっと視界が戻る。聴覚も普通になる。
「セリカ、中だよ」
「……」
「今、中に行くんだよ」
「…」
 セリカは抵抗しようとした。だが、ミュークの光線が未だ額に当てられているためか、動くことが出来ない。
「あの子、好きな男の名前何回も言っていたじゃない…」
「…」
「セリカが、今だけその男になってやればいいんだよ。セリカは、それであかりちゃんを手に入れることができる…」
 支離滅裂な論理だった。しかしセリカの手は次の瞬間ドアを押していた。
 かちゃ!
 セリカがついさっきまで視ていた部屋が、そこにある…隅のベッドにあかりがいる。
 あかりは、咄嗟(とっさ)の事に何も反応できていなかった。両の手は自慰行為の場に置いたまま、薄く目を開けただけだ。
 たた…
 セリカは、薄暗い部屋の中を一瞬で駆けた。自分でも驚くほどの素早い反応だ。あかりが反応を返す前に、セリカはあかりのベッドの上に一気に飛び乗ってあかりにのしかかった。
「……!」
 魔法を発動させてから、セリカはスタッフを床に投げる。
 からんっ…!
 かなり大きな音がする。しかし、外には全く音が聞こえていないはずだった。結界魔法(フィールド・マジック)、その中でも物理的な力の動きを遮断する能力に長けているものだ。セリカはその結界で、部屋の床から天井までを隙間無く覆ったのだ。
「ま…魔術師…さん?」
 ようやく声を出したあかり。おずおずと言った雰囲気で両の手を動かし、露わになっている下半身を隠そうとしている。まだ状況が飲み込めていないようだ。
 怯えたかのようなあかりの戸惑い。表情と仕草。
 セリカは衝き動かされたかのように突然動いた。あかりの両手をぱしっと払いのけ、両の太股をぐっとつかむ。呼吸は、セックスを目の前にした凶暴な男のように激しく荒いものになっている。
「い…いやああぁっ!」
 あかりは初めて悲鳴を上げた。声の最後は完全に声が裏返っている。
 だが、その声はセリカに躊躇を与えるものとはならず、むしろ興奮を与えるものとなってしまった。その声を引き金として、セリカは半開きにした唇をあかりの秘部に押し当てていく。
「やだ、いやっ!」
 あかりは嫌悪の声を上げた。身をよじる。身体をじたばたとさせて、必死にセリカから逃れようとする。セリカの行為を感じようとする素振りなど、全くない。
「……!」
 セリカは一度唇を離し、呪文を唱えた。
 しゅるっ!しゅるしゅるっ!
 平べったい、真っ黒なロープのようなものが虚空から生まれてあかりの身体を包んでいく。あっという間にあかりの身体はぐるぐる巻きにされてしまった。最後にベッドの下を通るようにしてロープが巻かれる。あかりの身体はベッドに固定されてしまった。
 しゅるっ!
 暴れている足の方にも同じロープが生まれる。足首をぐるぐる巻きにして、やはりベッドに固定する。
「あっ…ああっ…」
 絶望的な声。
 物質生成魔法と念動魔法(ムーヴ・マジック)。念動魔法は、風嵐魔法よりも微細なコントロールによる物質の移動が可能なのだ。動かせるのは、魔素の伝導に長けた物質に限られるが。
 抵抗の術(すべ)が失われたあかり。セリカは焦らすように内股から舌を滑らせた。足の付け根に近づくと、かすかな酸味が感じられる。セリカは全て舐めとってしまいそうな勢いで、そこを執拗に舐め立てた。
「う…う、くっ」
 あかりが声を漏らす。
 いかに望まない行為であったとしても、既に自慰で十分すぎるほど昂(たかぶ)っているのだ。身体を暴れさせる事で気を紛らわせる事ができないとすれば、後はただ性感の反応が生まれていくだけだった。
 セリカはゆるやかながらも着実に、舌の当たる部分を秘部に近づけていく。性感のるつぼとなっている部分が、熱く熱くなった液体を垂らしているのがよくわかる。セリカは顔を思い切り秘部に押しつけて、何とかそこまで舌を伸ばそうと試みる。
「ひ…は、はぅっ」
 辛うじて、届いた。舌の先が、あかりの性の入り口の部分を捉えた。分泌される愛液が、直接セリカの舌に響く。セリカはとめどもなく溢れ出すそれを存分に味わっては、喉の奥に送り込んだ。じゅるっ、じゅるっという卑猥な音が薄闇に落ちていく。
 あかりは、セリカの強烈なクンニリングスと同時に、セリカの細い前髪があかりの秘裂の表面を微少なタッチで掠めるのも感じていた。くすぐられているような、とてつもなく小さな刺激なのだが、大小二つの刺激のコントラストがあかりを興奮にいざなっていく。
「だ…だめぇ」
 観念したかのような、みじめな声。あかりは目を閉じてしまった。
 セリカは片方の手を太股から離し、秘裂の上端を探る。ぷくっと膨れた突起が顔を見せる。
 クリトリスを探り出される、その無遠慮な刺激にあかりは悶えた。
 セリカは再びあかりの秘部に顔をうずめ、クンニリングスを続けながらクリトリスを転がす。セリカは直接性器を舐め立てる行為の方に意識を奪われていたため、指の動きの方は繊細なものではなかった。だが、誠意の見えない乱暴な刺激はどこか制圧的で、あかりはマゾヒスティックにも似た快楽を覚えていく。
 ひとたまりも、なかった。
「ひ、浩之ちゃん…ん…あ、あぁ…っ」
 悲しそうな声を上げ、あかりはぴくぴくと身体をわななかせた。
 そしてぐたっとなってしまう。
「………」
 セリカは愛液にまみれた顔を上げた。
 鼻のところまで濡らしているあかりの愛液を指でぬぐい、それを舐める。そうしながら、疲れ切ってしまったようなあかりの表情を見つめる。悲しみを感じているのか、浩之という男の夢想に酔っているのか、セリカには判断できなかった。
 たっ。
 セリカは唐突に床に下りる。
 転がっていたスタッフをつかみ、ドアに走る。
 かちゃ…!
「おかえり。早かったね」
 ミュークは部屋に入ったときと同じ場所に座っていた。セリカはそれを無視して廊下を歩き出す。同時に、あかりの部屋に残された二つの魔法を解除する。
「どうだった?初めての経験は」
 早歩き。あっという間に宿の受付のところまで戻ってきてしまう。
「え?逃げる?」
 こく。
 ミュークの方を向かずにセリカは首を振った。
「必要ないよ。大丈夫」
「………………」
「あの子、今晩眠れないよ。よっぽど疲れていたんだろうね、あの瓶に入っていた水を全部飲んだんだから」
「…」
「まぁ、一晩中、あかりちゃんは自分でしているだろうね」
 セリカは、とんとスタッフで床を叩く。
「そんな状態の中で、一回遊ばれたからって…」
 ミュークの言葉に耳を貸さず、セリカは階段を上がり始めた。
 その後ろをミュークは歩く。
「…ねぇ、セリカ、これからも頑張ってもらわなきゃいけないんだからね」
「……」
「え?うん、そりゃ技術はボクが『光』で伝えたところも多いよ。そうしなきゃ、話にならないしね。でも、セリカがあかりちゃんに対して持った感情は…」
 ミュークはととっ、と先に階段を上まで駆け上がってしまう。
「想像に任せるよ」
「……」
「知らない方が、幸せなんじゃない?きっと」
 言って、先に部屋の中へ入っていってしまう。
 セリカは暗い表情で階段を上がり、部屋に戻った。ミュークは早々にベッドに上がっている。
「じゃあ、寝よっか。明日は発つんでしょ」
 しかし、セリカはテーブルの前に立って何かを始めた。
「何してんの?セリカ…」
「…!」
 セリカが呪文を唱えると、テーブルの上に薬包紙のような一枚の薄い物質が生まれた。


 次の日の、朝の食堂。
「おはようございます…」
 こく。
 セリカはあかりの挨拶にうなずいた。
 あかりは朝食をセリカのテーブルに置いていく。セリカはあかりの表情をちらっとうかがった。目にくまが出来てしまっている。非常に疲れているといった素振りだった。
 そんな表情でも、あかりというだけでセリカは胸を高鳴らせてしまう。
「ごゆっくり、どうぞ」
「……」
 しかし、その高鳴りを押さえ込んでセリカは小さな声を上げた。
「え?なんですか?」
 あかりがセリカの口元に耳を寄せた。セリカは鼓動が速くなるのを感じつつも、もう一度言う。
「……」
「疲れて…そうですね、そうみたいです」
 あかりは苦笑した。セリカに対する非難であるとか、不審の念であるとかの様子は全く見えない。
 ごそごそ。
 セリカは腰の辺りを探った。そこに下げた袋から、一つの丸薬を取り出す。
「……」
「え?くださるんですか?」
「………………」
「すいません、ありがとうございます…毎日大忙しで、疲れが抜けていないと本当に困っちゃうんですよ」
 あかりはセリカの手から丸薬を受け取る。あかりの指が触れた瞬間、セリカは全身の力が抜けそうになってしまった。
「んっ…と」
 その丸薬を、疑いもなくあかりは飲み込む。
「あれっ…」
 あかりは目をしばたたかせた。
「なんだか…ほんとに、力が出てきたみたい…」
「……」
「魔法のお薬…すごいんですね、効き目」
「………」
「ありがとうございます。すごい助かりました」
 あかりは本当に元気を取り戻したようで、口調も弾ませてお辞儀をする。そしてたったったっ…と厨房の方に走っていった。


「ありがとうございましたー」
「ね?あの子、全然気にしていないみたいでしょ」
「……」
「まぁ、もう二度と会うこともないだろうし」
 勘定を済ませて宿を出た二人の前には、商業地区を行き交う人々の姿があった。
「ボクにも全然疑い持っていないみたいだし…素直でいいコだね」
「…」
 セリカは城門に向かって歩き出す。ショールゥの洞窟から帰ってきた方とは逆の城門だ。
「別の国に行くんだよね」
「……」
「了解。どこまでもついていくよ〜」
 呑気なミュークの声。
 セリカは、ふっと宿を振り返った。その落ち着いた佇(たたず)まいは、セリカにはひどく遠いもののように思えた。
 ここに帰ってくる事は、あり得ないだろう。




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