はるか[責任] その4


 ピンポーーーン。
 来た。
 インターホンに出ようかとも思ったが、やめておく。
 ビデオの時計は、きっちり 05/27 09:59 を表示しているのだ。誰か確認する方がばからしい。
 それでも、俺はドアを開ける前にドアスコープの向こうをちらりと確認していた。
 がちゃっ。
「冬弥君…」
「久しぶり、由綺」
「久しぶり、だね」
 玄関の前で、やりとりする。
 濃紺で小さめのデニムジャケットの下にはすっきりした若草色のシャツ。すとんとした黒いスカートと、オーソドックスなライトブラウンのハンドバッグ。どこか伏し目がちな印象を受けるのは仕方ないかもしれないが、由綺は思ったよりも元気そうだった。
「とりあえず、入って。相変わらず何もないけど」
「ううん、いいの。おじゃまします」
 がちゃん。
「悪い、呼び寄せたりして…時間はかからないと思うから」
「でも、私も、冬弥君の家がいいと思うよ。きっと」
 由綺は極めて微妙な表情を浮かべながら、スニーカーを脱いだ。笑みとも憂いとも取れない、その中間とも言い難い表情。ただ、座り込んでスニーカーを脱ごうとしている仕草だけは昔と変わらず、由綺っぽいという印象も受けた。
 俺は、部屋にとって返す。ちょっと遅れて、由綺がついてきた。
 この部屋に由綺を入れるのは、二回目だ。そして、ほんの少しだけ話をして、外に出ていくだろうという事に関しては前と同じだった。
「座る場所は…まぁ、適当に」
 俺はベッドに腰掛けようとした。が、由綺もついてきて、俺の横に座る。スカートをちょっと気にしながら、微笑みを浮かべて。
 少々困惑したが、駄目だという理由もない。
「部屋、前来たときと同じだね」
「そうだな」
「そのボールライト、覚えてるもの…」
 そう言って、由綺は腰を上げた。座ったり立ったり、せわしない…。
 由綺は出窓の前に立つ。瞳は、外の風景を見ているのか、それとも出窓の前に置かれたインテリアを見ているのか、よくわからない。
「つけて、いい?」
「こんな昼間から?」
「うん…なんか、懐かしくって」
「由綺、この部屋来たの一回だけじゃない」
 自分で言いながら、俺は言葉の中身に素朴な哀愁を感じてしまった。
「そうだけど…この鉢、見覚えあるよ」
 と、由綺はゼラニウムの葉をもてあそぶ。
「変なとこに目がいくなぁ…」
 そもそも、由綺が俺の部屋に来た時は引っ越しの荷物を開けている最中だったはずなのだ。その時、ゼラニウムの鉢を出し終わっていたかは…さすがに覚えていない。
「そうかもね。ふふっ」
 由綺は出窓の所に肘をついて、はっきりと外に目をやった。
 一瞬、ロングヘアーがさらさらと揺れるのではないかと思ってしまう。窓を開けているわけでもないのに、なぜか風が舞い始めるのを俺は予期してしまった。由綺の横顔には、どこか風が似合うと感じてしまったためかもしれない。
 想い出じゃ…ない。こんなシーンは俺の記憶の中には存在していないはずだった。デジャ・ヴュ? 俺は、そんな言葉が生活の中に入り込んでくる事には懐疑的だった。
 もっともこないだ見た夢以来、俺は自分の無意識にもリアリティを感じつつあることは確かだった。
「冬弥君」
 俺の思考を遮るように、由綺がさらりと言う。それきり口をつぐむ。
 こういう時に限って、鳥や風の声も、車の音も聞こえない。
 俺は、自分が語るべき状況が設定されたことを理解した。
 ため息は、心の中だけに押さえておく。
「どんな風に言っても、同じだと思う。ただ、言い方次第で由綺を傷つける度合いが変わってくるかもしれない。だけど、どうすれば由綺が一番傷つかないのかはわからない。だから、事実だけを言うよ」
 自分の口から滑り出す接続詞が、妙に耳障りだった。
 由綺が短い間隔で、二度瞬きする。
「俺は、はるかの事を好きになってしまった。去年の、11月頃だったと思う。こういう感情は、いつ一線を越えたのか本人にもわからないものだし、はっきり確定できるわけじゃないけどね」
「……はるか…なの…」
 重苦しさを感じたのは、錯覚だけで済まされないと思う。
 そうだ…俺は、由綺に好きになった人間の名前すら伝えていなかったんだ…
 クリスマスの時、由綺以外に好きな人間がいると伝えたこと。音楽祭の後、何回か由綺と電話の連絡を交わしたこと。その二つがあったために、はるかだと知っているとばかり思いこんでいた。
 俺は、ここ数日で最も重い自己嫌悪にはまり込む。視覚が変になり、由綺の顔を集中して見ることが出来なくなった。
 それでも、黙り込むことは許されない。
「当たり前だけど、由綺が嫌いになったわけじゃない。でも、はるかを好きになってしまったのは間違いないし、」
「そう…」
 俺の台詞の途中で、由綺が言う。あまりにも決定的でいて、同時に救いでもある言葉だ。
 俺が自分を正当化するための嫌な台詞は、いくつか存在していた。それがこぼれ出すのを食い止めてくれるのは、由綺のこの言葉しかあり得なかったのだ。俺が今語る事の出来る言葉の数は、そう多くない。いくら避けようとしても、やがて手元に嫌な台詞しか残らなくなるのは分かり切っていた。
 俺はどう切り出したものか迷ったが、
「由綺、一つだけ、頼みがある…」
「え?」
「謝らせてくれ」
 返事が帰ってくる前に、頭が由綺の方を向かって垂れていた。ベッドに座りながら由綺の方を向くのはかなり無理があったが、そんな事に気を使う余裕は無かった。
「済まない、由綺。俺は、弱い、人間だった」
 由綺の反応を考えるとか、善後策を考えるとか、そういうレベルを超えた行動だった。そう確信したい。はるかの顔が脳裏をよぎる。はるかの言葉が脳裏をよぎる。
 頭を上げると、由綺はぽかんとした顔で俺の事を見ていた。俺は、その顔をじっと見つめる。
「ふふふっ」
「…?」
 由綺は突然笑い声を漏らした。俺の頭は状況についていけない。自分で引き起こした事態くらい自分で理解して欲しいのだが、21年つき合ってきたこの頭の性能を抜本的に向上させる事は望むべくもなかった。
 由綺はそのまま出窓に預けていた身体を起こして、俺の方に戻ってくる。滑るみたいな歩き方だ。
「冬弥君」
 由綺は、また俺の隣に座った。さっきよりも身のこなしが軽いような印象すら受ける。スカートを気にする仕草すら軽いように見える。
 そして、ふっと顔をこちらに向けた。
「言ったじゃない…私は、片想いの頃に戻っただけだって」
「………」
「あと、嘘だけはつかないでって」
 嘘…か…
「それからね」
 由綺は、思い切り笑みを浮かべた。そんな笑みが破綻しないのが、由綺なのだ。
「今でも、冬弥君の事が大好きだって…」
 俺は、由綺が抱きついてくるのではないかとも思った。しかし、由綺は静かに笑みを浮かべたままだった。よく考えると、由綺が俺に抱きついてくるのは、俺が背を向けている時だけなのだ。この状況で、わざわざその法則が乱される理由もない。
「冬弥君がどうなっても、どこにいても、私は冬弥君の事が大好きだよ」
「…そうかぁ…」
 えらく感慨深いような相槌を打ってしまったが、実際にはそこまでの感動が生まれたわけではなかった。由綺がそう言ってくれるほどに、空しい自己嫌悪が泡のように生まれて消えるのだ。
「本当だよ、それは。冬弥君、私が演技下手なのは知ってるでしょ」
 由綺の顔には、困ったような笑みが浮かんでいた。
「だから、冬弥君の事、全然私は諦めてないよ…!」
 あ…
 そう、由綺はそういう人間だ…。
 俺は種々の文法が突き崩されていくのを感じた。
「今は本当にお仕事忙しいし、冬弥君と一緒にいられる時間も少ないから、つき合うって言っても無理が出て来ちゃったのは仕方ないと思うの。あ、でもはるかと冬弥君がうまくいかない方がいいなんて、全然思ってないよ。そういう気持ちと、冬弥君が好きだって言う気持ちは、別の物だと思うの…えっと…」
 由綺は一気にしゃべった。純粋さの吐露…そんな表現が世の中に存在するなら、それを適用したい気分だ。
「わかるよ」
「ありがとう」
 人の気持ちがわかる、なんて事にこんな安易な解答を与えていいのだろうか。だが、ここで「わからない」と言ったところで、俺はどうやって会話を続ける事ができるだろう?
「今日一日は…昔みたいに、冬弥君と過ごしていいんだよね…」
 由綺とこの部屋にいる意味はもう無くなったようだ。そんな意味は最初から存在しなければ楽だったのだが、あいにくこの部屋には、5日間でいくつもの歴史が刻みこまれていたのだ。
「よし、じゃあ外出よう」
 俺はベッドから立ち上がる。由綺も、一緒に立ち上がってくれる。
 どうにでもなれ、今は由綺が楽しめればそれでいい。迷いを挟むのは終わった後で十分だ。


 俺達はきわめて普通の恋人のように、街を闊歩した。俺の家から駅までの道のりは、初夏の住宅地に特有の明るく透明なノスタルジィに満たされていたし、平日昼の電車の中には学生やサラリーマンの慌ただしいエネルギーは存在しなかった。
 会話はするすると続いていった。部屋で俺が使えた語彙の数と比べると、信じられないようにも思える。彰や美咲さんがどうしているか。弥生さんがどうしているか。はるかや英二さんの話題にしても、出てこなかったわけではない。
 その頻度は、ごく自然という範疇に収まる程度だった。少なすぎないし、多すぎない。そんな芸当をする能力が俺に備わっているのなら、もう少し俺が要領良くてもいい気がした。あるいは、俺が不器用だからこそ、こんな時にだけ変な能力を発揮してしまうのかもしれなかった。
 伊吹町の駅で降りる。降りる人間の数はあまり多くなかったが、それでも明らかに大学の方へ歩いていく人間が存在した。
「大学にも、最近あまり行っていないんだけどね…」
 由綺は言った。
「そうだなぁ。全然会わなかったもんね」
「これから一ヶ月休んじゃうし…いくつかの授業は、レポートの課題先取りしてもらってきたんだけど…」
「って由綺、中国行ってまでレポート書く気?」
「うん、出来るだけね…でも、弥生さんが手伝ってくれそう」
「あ、なるほど」
「冬学期は何とか自分だけでやれたんだけど…今年はもう、いくつか弥生さんに大学の方の手続きお願いしたりしてるしね…」
 俺に言ってくれればやったのに、という言葉を飲み込む。
「全部弥生さんに書いてもらうわけにはいかないし、手伝ってもらうだけなんだけど…あんまり怠けてると、せっかく大学で勉強している意味がなくなっちゃうね…」
 由綺はちょっと寂しそうな顔をする。こんな事で悩める人間なのだ、由綺は。
「仕方ないよ。それ以上に由綺は、仕事の方で頑張っているわけだし」
「うん…」
「大丈夫、なんだかんだ言って留年する人間なんて毎年ほとんどいないんだから。真面目にやってる由綺が留年させられるなんておかしいじゃん」
「あはは…」
 俺達は、そんな会話をしながら大学とは逆の方向へ歩いていった。いつも買い物をしたりする方だ。
「どこ行くー?」
「いろいろ、歩いてみようよ。いつものところを」
 想像通りの答えが返ってきた。
 それから、本当に「いつも通り」のところを歩く。古着屋。スニーカー・ショップ。雑貨屋は、ナチュラルテイストを中心とした店と、ポップな雰囲気の店の両方を。小さな本屋に寄ってみたりもする。CD屋も、あまり気負わずに入ってみる。
 いつもとの違いを強いて言えば、割合こまごまとした物を結構買い込んだこと。それから、アイスだとかタコ焼きだとかいったものを買って外で食べていたことだろうか。レストランに入って食事を取る事はしなかった。
「太ったりしないの?」
 俺は肉まんを片手に聞いてみる。コンビニの肉まんではない。ふかしたのをすぐに渡してくれる、中華街みたいな店があるのだ。
「んん」
 由綺は口を閉じたまま返事をする。肉まんをかじったばっかりだったようだ。こういう反応に関しては、由綺は期待を裏切らない。
「食べてから返事しなよ…」
「えへへ…ごめん」
 烏龍茶で肉まんを流し込んだ由綺が、笑いながら言う。
「そうだね、今日のご飯は少な目にしておこうっと」
「やっぱ、その辺の管理って厳しいの?」
 弥生さんの顔が頭に浮かぶ。
「うん、一応カロリー計算はしてるの…普段は弥生さんがずっとついていてくれてるから気にしなくてもいいんだけど、今日は自分でやらないと」
 その辺は想像通りらしい。
「でも、あんま太る体質じゃないよね?由綺って」
「うん…でも、結構レッスンでカロリー消費してるみたい…」
「あ、そりゃそうだ」
「歌う前とか、甘い物を食べる人もいるみたいだし」
 どっかで聞いたことがある。
「ま、俺のせいで由綺の体型が変わっちゃったら困るし、その辺の管理はしっかりしといてくれよ」
「一日でそんなに変わらないよ、もぅ」
 由綺のむくれた顔を見るのも久しぶりだった。
「でも、ここの肉まんはいいよね」
「うん、ほんと」
 サイズが少々小さいのは欠点だが、味はコンビニの奴と比較する気にもならないレベルだ。はっきりと肉汁の旨味が感じられるし、ヤツガシラか何かのさくさくした感触がまた嬉しい。週末になると、行列もちょっとしたものになる。
 ちなみに烏龍茶も、その店で売ってる奴だ。肉まんのサイズに合わせてなのかどうかは知らないが、150ccの小さい缶。それで150円取るだけあって、普通の烏龍茶と渋みの質が違うのはなんとなくわかる。
 肉まんと中国を関連づけて話題を振ろうかとも思ったが、やはりやめておいた。それに、肉まんの最後の一かけがちょうど由綺の口の中に収まったところなのだ。まだ3時だし、回れる場所はいろいろある。
「んじゃ、次はどこ行こっか」
「次はね…」
 由綺の指は、俺達の目の前にあるカラオケを指していた。
 カラオケ?
「カラオケ?」
「うん」
 ちなみに、俺は由綺とカラオケに行った事が一度もない。
 歌というものを中途半端な遊びでやるのを避けていたというか、意識はしていなかったがそんなとこだ。元々、特にカラオケ好きな人間がいなかったという事もあるが。俺達の周りでは、遊びのネタがあまり無い時に行く程度だ。
「別にいいけど、なんか意外」
「うん…」
 由綺はちょっとはにかんだが、そのまますっと店の中に入っていってしまう。
 俺もその後を追った。どこにでもある、チェーンのカラオケだ。時間帯的には女子高生がたむろしていそうな気がしたが、フロントの所にはやる気のなさそうな店員しかいなかった。
 由綺は人数やらを紙に書いているようだ。
「はい、お部屋の方12番になります、ワンドリンク制になっておりますので電話で注文して下さい、ごゆっくりどうぞ」
 もう済んでしまったらしい。由綺は伝票とリモコンを受け取っていた。
「12番だって」
「あー…こっちか」
 フロントから右の方に入った通路の奥に、12と書かれたドアがある。
「しかし、どういう風の吹き回し…っていうか、それ以前に、あの紙に本名書いたの?」
「うん」
「なんだかなぁ…」
 フロントの壁には、なんか有名人が来たとかの色紙がいくつか貼ってあった。由綺の顔を見て、声を聞いて、名前を見て、それでも気づかない…楽なアルバイトもあったもんだと思う。
 もし後で名前に気づいた人間がいても、ただのネタとしか思わないだろう。ちょっとおかしくなった。
「で、ドリンク頼まなきゃいけないのか…由綺は」
「烏龍茶」
「んー、まあ俺もそうしよ」
 由綺はもう椅子に座ってしまっていた。俺は電話を取る。呼び出し音が一回鳴らない内に、さっきの店員の声が聞こえてきた。やる気がない割に、応対だけはえらく速い。
「烏龍茶2つ」
「はい、ごゆっくりどうぞ」
 由綺はもう本を繰っている。
「で、なんでまたカラオケなの?」
「冬弥君のためにね」
 由綺は本のページをある所で止めて、リモコンに手を伸ばした。
「冬弥君のためだけにね、歌うってこと、一回もなかったから…」
「………」
 由綺がリモコンのボタンを6回押す。
 カラオケの画面を見ると、5桁の数字が画面の右上に表示されていた。
「一曲だけでいいの。それが終わったら、出ようね」
「あ………あ、あぁ…」
 パッと画面が切り替わる。一瞬のブラックアウトの後、画面には動画と文字列が表示された。
"from the truth"
 すっと由綺が立つ。いつの間に用意していたのか、手にはマイクがあった。部屋に入った時に、持って行ったのだろう。由綺らしくない手際の良さだ。
 画面と部屋を沈黙が支配する。そこに、歌詞が浮かんでくる。
「"from the truth, from the truth, from the truth..."」
 静かに、由綺の声が響いた。
 カラオケのマイクを通してだというのに、聞いたこともないほどに張りがある声だ。声量の余裕、声質をコントロールする自信、それに裏打ちされている事くらいは、俺でもわかった。何のウォーミングアップもなしに。ボーカルがトップで入ってくる曲なのに。
 ブラウン管を通しても、スタジオで見ていても、決して聞くことができない歌声がそこにはあった。閉鎖された特殊な音響環境というのも原因の一つとして確かにあるだろう。だが、最大の理由は間違いなく、由綺が、俺のためだけに歌ってくれているという事実、それに他ならないはずだ。
 由綺の瞳は真剣だ。そして、真剣な由綺の瞳をこんな至近距離で見るのも初めての経験だ。俺は最初の3小節で完全に魅了された。
 魅了という不思議な感覚は、全く未知のものとして俺の中に現れた。しかし、俺はそれに畏怖せず、かと言って同化せず、純粋な聞き手として存在できるように思えた。俺は喜んだ。
 由綺の顔は真剣味を維持しつつも、自然な笑いを浮かべている。俺の事を見ているのか、画面を見ているのか、それはわからない。でも、俺のために歌ってくれるのだ。
 画面に新しい歌詞が浮かぶ。はっとした。長い間奏を、完全に聞き逃していたようだ。

一体何が 闇を見せているのか
確かめるって君は言ったよね
そうやって 同じ道を歩んで
私たち どこまで来たんだろう

何もわからなかったけど 何もつかめなかったけど
私たち 同じ景色まで戻って来れた

"from the truth", 幾千の鳥の声と
"from the truth", 同じだけの強がりと
"from the truth", 少しだけの言葉を抱いて
二人はもう一度歩き出すよ

「絶対何も失うことはない」って
タテマエって思っていたけれど
こうやって 同じ空を見上げて
あの時と 何が違うんだろう

何もなかったのか 何も失わなかったのか
私たち 同じ疑問まで戻って来れた

"from the truth", いつかの空の色と
"from the truth", その時の寂しさと
"from the truth", 少しだけの言葉を抱いて
二人は何を見つめるのかな

"from the truth", あなたの存在と
"from the truth", わたしの存在と
"from the truth", 少しだけの言葉を抱いて

"from the truth" hoo hoo...
"from the truth" hoo hoo...
"from the truth"


 ドアが開く。遅まきながら、烏龍茶2つが運ばれてきたのだ。


「行っちゃったなー、由綺」
「んー」
 相も変わらず天気はいい。梅雨は何時になっても来ないみたいに思えた。
「これからどうする?」
 そんな台詞を振ってみる。
「んー。どうしようか」
 はるかもこんな台詞を返す。
「そうだなぁ…」
 俺は空を見上げた。青さが際だっているのは冬の空と同じだが、そこに表れる寂寥の色合いは異なっている。
 何とはなしに、いつかのはるかの台詞が思い起こされた。
 由綺が泣いちゃったら、私の事忘れてもいいよ、か。
 はるかの台詞に最大の誤算があったとすれば、由綺は俺の行為に泣くはずなどないということだったろう。
 いや、元より泣くはずがないという事を理解して、はるかはそう言ったのだろうか?
 ちらっとはるかの方を見る。はるかは、いつもみたいにぼーっと空を見上げていた。その瞳はあまりに透明すぎて、どんな想いも吸い込んでしまいそうに思える。
 なんだかよく分からなくなった。
 自分を疑うことにも、人を疑うことにも疲れすぎた気がする。
 俺は目を軽く覆って、少し傾いた太陽の方を見る。西へ西へ。それをたどっていけば、由綺がどこかで歌っているはずなのだ。緒方英二の作った、メロディと歌詞を。


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