マルチ[先行者]


「浩之さん、手紙が来てますよ」
「あいよ」
 テレビを見ていた浩之が顔だけマルチの方に向けて返事する。
「ここに置いておきますね」
 テーブルの上に手紙を置く。ぱさっと軽い音が立った。
「ああ。ご苦労さん」
「じゃあ、私は掃除の続きをしてきますね」
 とてとて…とリビングを出ていくマルチを見送ると、浩之は手紙に手を伸ばした。手紙は3通。全部封筒だ。デパートのダイレクトメールと英会話のダイレクトメール、それから…もう一つは、普通の茶封筒に入っている。表に、手書きで「藤田 浩之様」という宛名と住所、郵便番号が書かれている。
 しかし、知らない筆跡だった。
 浩之は封筒を裏返す。「長瀬 源五郎」…どこかで聞いたことのある名前だった。
 それが、差出元の住所を見ることで浩之の記憶とつながる。
 浩之は封筒を表にしたり裏にしたりしながら、しばし考える。中に入っているのは普通の手紙らしい。だが、ユーザーサポートの話なら正規の封筒を使うか、さもなければメールで済ませればいいことのはずである。
 びりっ。
 とにかく内容を読んでみることにして、浩之は封筒の口を破る。中には、3つ折りにされた普通の便箋が一枚だけ入っていた。
『藤田 浩之君
 マルチは元気にしているかな?久しぶりに会ってみたいんだが、マルチと君と私、三人でどこかに出かけてみないかね?マルチが一緒だから食事を楽しむと言うのは難しいかもしれないが、浩之君の方も面白くなるようにはするつもりだよ。
 次の日曜日の昼。それで良ければここに連絡してもらいたい。』
 その後、メールアドレスと「長瀬源五郎」の名が記されていた。
「うーん…」
 浩之は一人唸(うな)りながら考えた。
 次の日曜日は特に用がない。マルチも長瀬に会えるとなれば大喜びするだろう。いつか長瀬が送ってきた手紙とは文体が全然違うが、それは客と開発者の関係だったからだ。長瀬は、あくまで個人的に会いたいと言っているのだろう。
「よし」
 リモコンでテレビを消す。そして浩之は2階の自分の部屋に戻ることにした。階段を上がろうとしたところで、ちょうど掃除機の音が聞こえ始める。
 マルチには、働かせっぱなしだしな。
 どういう所に連れていけばマルチが喜ぶのか、浩之は前々から悩んでいたのだ。ゲームセンターでも近くの公園でもマルチはそれなりに喜ぶのだが、少し遠出をしようとなるとどこに連れていけばいいものか分からない。結局、近所を二人で散歩するというコースになってしまう。無論、マルチはそれをいつも楽しんでいるようなのだが…。
 長瀬がどこに連れていこうとしているのかはわからないが、長瀬に会えるだけでマルチは喜ぶはず。連れて行かれた場所が大して面白くなかったとしても損があるわけではないし、マルチはどこでもそれなりに楽しんでしまうだろう。長瀬の申し出はなかなか魅力的なように思えてきた。
 ふぅーっ…
 2階に上がったとき風が廊下を吹き抜ける。見ると、浩之の部屋は窓もドアも開けられて風を通している状態だった。マルチが掃除してくれた後のようだ。
 浩之は自分の部屋に入るとパソコンを起動し、長瀬に了解する旨のメールを送る。
「浩之さんー」
「?」
 浩之が振り向くと、いつの間にかマルチが来ていた。
「今日のご飯、何にしましょうか?」
「そうだなぁ…」
 学習型の名の通り、マルチは何とか料理を覚えていった。買い物も、最初は浩之がついていないと危なっかしくてやっていられなかったが、今では普通にこなせるようになっている。時折小さな失敗はあったが、愛嬌で済ませられるレベルに落ち着いてきている。
「まかせるわ」
「そうですか…ハンバーグはこの前作りましたし…それじゃあ、お肉でどんぶりを作るのはどうですか?」
「いいな」
「はい、わかりましたー」
「あっ、マルチ」
 浩之はマルチを呼び止めた。
「はい?」
 それに答えて、マルチが浩之の方を向く。
 瞬間、
 …バタンッ!!
「わっ…」
 浩之は驚きの声を上げた。たまたま、風圧で部屋のドアが勢い良く閉まったのだ。
 慌ててマルチを見る。放心したような顔になっていた。
「マっ、マルチっ!」
 浩之は急いでマルチに駆け寄り、腕で抱きかかえる。それから頬を軽く叩いた。
「あ、あれ…」
 すぐにマルチは「気」を取り戻す。
「あーびっくりした…勘弁してくれよ、そう毎回毎回オーバーヒートされていたらこっちも身が持たねーぜ」
「すいません…また、何かあったんですか?」
 マルチは強烈なショックを受けると、その瞬間メモリーが機能しなくなるようだった。
「ドアが風で思いっきり閉まったんだよ。風通している時ってよくああなるから、気をつけろよ」
「そうですか…わかりました」
 少ししょげかえる。
「あ、そうそう。忘れるとこだった。さっきの手紙の中に、マルチの研究所の長瀬さんからのがあってさ」
「長瀬主任ですか?」
 マルチは一転して顔をほころばせた。
「ああ。それで、今度三人で会わないかって」
「私と、浩之さんと、長瀬主任でですか?」
「そう」
「わー、楽しみですー」
「今度の日曜日の昼な。行くって返事しといたから、どこに行くかとかは長瀬さんの方からまた返事が来ると思う」
「楽しみです、長瀬主任に会えるの」
「そうだな…俺は初対面だけど」
「とってもいい方ですよ。浩之さんも、すぐに好きになられると思います」
 屈託のない口調だった。
「まぁ、マルチを育ててくれた人に、悪い人間がいるわけねーよな」
「はい、皆さん優しい方ばかりでした」
「よしっ。じゃあ、今度の日曜日は、こんな優秀なメイドロボットを作ってくれて感謝してますってお礼を言いにいくか」
 浩之はマルチの髪を撫でる。
「あ…浩之さん…」
 ぽうっとした表情になりながら、マルチが頬を赤くする。
「研究所の皆さんも私を育ててくれましたけど…私がここまで色々出来るようになったのは、浩之さんのおかげです…」
「俺の?」
「はい、私は学習型ですから」
「別に、俺の方は何もしてねーぞ…」
「そんな事ないですよ。浩之さんがいなかったら、私は何もできないロボットのままだったと思います」
「可愛いこと言うな」
 浩之はまたマルチの頭を撫でてやった。
「ひ、浩之さん…撫でていただけるのはすごく嬉しいんですけど…買い物に行ってこなくちゃいけませんから…」
「そうだな。じゃあ、この辺にしとくか」
 浩之が手を離すと、マルチはまだ顔を赤くしたままだった。
「…行ってきます、浩之さん」
「ああ。気をつけて行って来いよ」
「はい」
 マルチは部屋のドアを開けると、両の頬に手を当てたまま走っていく。
「転ぶなよー」
「は、はい…わ、わっ!?」
 ひっくり返りそうな声。
「マルチっ!」
「だ、大丈夫です〜」
 どたどたっと危なっかしそうな音が聞こえてきたが、階段を転がる音はしなかった。
「はぁ…」


「んじゃ、いただきます」
「はい。おかわりもありますからね」
 こんがりと焼けた豚肉がのっている丼と味噌汁、サラダ風の浅漬け。
 浩之は旨そうにそれを食べていった。
「うん。シンプルだけど、いいよな、これ」
 キャベツの浅漬けをかじりながら浩之は言う。
「そうですか…最近、やっと塩加減がうまく行くようになってきました」
「多少塩が利いていたり薄かったりしても、それなりにうまいけどな。今日はメシに味がついているから、これくらい薄いのがいいんだ」
「あ、やっぱりそうなんですね」
 マルチが安心した笑みを浮かべる。
「そうそう。その辺も考えられるようになったんだな。えらいえらい」
 頭を撫でこそはしなかったが、マルチは褒められただけで少しく頬を染める。
「そういや、長瀬さんからもう返事来てたわ。なんか、ロボット博物館だって」
「博物館、ですか?」
「そう。行ったことは…ないよな」
「はい。どういうものかなのか、メモリーにはあるんですけど…」
「まぁ長瀬さんもロボットのプロなわけだしな。面白いものを見せてくれそうだ」
 浩之は、思ったより自分の方も楽しめる休日になるかもしれないと考え始めていた。
「そうですね。私も楽しみです」
「最新型として、やっぱりマルチ達もいるんだろうな」
「そうなんでしょうか?」
 マルチが聞く。
「ま、写真とかだけかもしれねーけど、やっぱりあるんだろ。博物館っていうくらいなんだし」
「な、なんだか恥ずかしいですね…」
「別に恥ずかしがることもないだろ。最先端の技術はここまで来ましたっていうことを示しているわけなんだし。ん、おかわり」
「あ、はい。お肉焼くの、すぐできますから待っててくださいね」
「焦んなくていーぞ」
「はい」
 マルチは浩之の食べ終わった丼を持って、キッチンに走っていく。チチチチ、とガスを点ける音がして、ほどなく肉を焼く小気味良い音が聞こえてくる。
 味噌汁をすすりながら、浩之は当日の電車のルートを考えていた。
「お待たせしました」
「おっ、本当に早いな」
「でも、豚肉さんですから、きちんと火は通っています」
 確かに、焼けた肉の断面が中までしっかり火が通っている事を示していた。
「じゃあ、もっかいいただきます」
「はい」
 …と、浩之は二杯の丼で腹を十二分に満たし、夕飯を終えた。
 浩之はテレビを見始める。マルチはキッチンで洗い物をしている。
 するとチャンネルを回している時、長瀬が言っていたものと思(おぼ)しき博物館の話が出てきた。NHKのニュースらしい。
『…『ロボットの歴史』展は、国立○○博物館で4月29日から…』
 29日?
 長瀬が指定してきたのは、25日だった。しかも、アナウンサーによれば、『ロボットの歴史』展はこの博物館の開館記念の催しらしい。
「ってことは…」
 開館前に入れるということだ。
 長瀬が一体何を考えているのか浩之には分からなかったが、とりあえず特権待遇を楽しめると良い方向に考えることにした。


「やぁ。君が浩之君だね」
 日曜日、浩之達がJRの駅を出たところで待っていると、一人の男が声を掛けてきた。
「どうも、藤田浩之です…ってあれ?」
「お久しぶりです、長瀬主任」
 マルチはぺこりと頭を下げる。
 中年で面長の、眼鏡をかけた男だった。肩から黒い鞄を掛けている。
「あなた、どっかで見たことある気が…ってそうだ。公園で、ハトにエサをやってませんでした?」
「うん、そうだな。その時会っているね」
「だったら、言ってくれてもいい気が…」
「浩之さん、長瀬主任に会ったことあるんですか?」
 不思議そうな顔でマルチが訊く。
「いや、会ったって言っても偶然公園で話したくらいで…名前も言わなかったし」
 確かにあの時長瀬は白衣を着ていたし、ロボットの話もしていた。だが、それがマルチの開発主任だという想像に結びつけられるはずもない。
「まぁ、実質的には初対面みたいなものだからね。敢えて手紙にも書かなかったんだ」
「ってことは、長瀬さんは俺の事を気づいていたんですか?」
 浩之が訊く。
「君とマルチが散歩しているのを偶然見かけてね」
「はぁ…そうなんですか。言ってくれたら、もう少し緊張しなかったのに…」
 少し脱力したような声で浩之は言った。
「浩之さん、緊張する必要はありませんよ」
「いや、別にそんな緊張してたわけじゃないけど」
「ところで浩之君、食事は済ませているかな?」
「ええ。家で」
 長瀬が言った通り、マルチを連れて食事に行くのも可哀想だと思ったのだ。
「長瀬主任、私もたくさん料理が作れるようになったんですよー」
「ほう」
「そうですね、最初の頃に比べればすごく上手くなりました」
 浩之は脚色も誇張もなく、ただ事実を言う。
「そりゃあ良かったな。私としても嬉しいね」
「長瀬主任が喜んでくれると、私も嬉しいですー」
「俺も、マルチが色々な事できるようになっているの見るの、嬉しいけどな」
「あ…」
 浩之はいつものようにマルチの頭を撫でる。
「長瀬主任、私がいろいろな事を覚えられたのって、浩之さんのおかげだと思うんです…」
 浩之に言った事を、長瀬にも言う。頭を撫でられているせいか、少し熱っぽい声だった。
「ふむ」
「浩之さんが、私が失敗しても見捨てないでくれて、成功したときは喜んでくれましたから…」
「よせって。俺はただ自分が思うままにしていただけだ」
 浩之は、少々照れくさそうだった。
「まぁ、今日は色々とマルチと浩之君の話を聞かせてくれないかね」
「わかりました」
 浩之はマルチを撫でるのをやめて、長瀬の方に向き直る。
「それで、博物館でしたっけ?」
「ああ。今度、来栖川が国に全面的に協力して作ったんだ」
「じゃあ長瀬さんも」
「そうだな。かなりの部分、関わらせてもらった」
 長瀬はゆっくりと街路樹が茂る歩道を歩き始める。浩之とマルチも、その後を追う。
「だから、開館の前に入れるんですね」
「おかげさまで、開館の直後は大行列が予想されるとコンピュータが弾いたんでね」
「そりゃ、ロボットは花形産業になりましたし」
「と言っても、まだまだ固まった業界じゃないもんでね。私みたいな年になっても、どうやら引退させてもらえそうにないよ」
 長瀬はそう言って肩を叩いた。浩之と同じくらいの背丈があるせいか、あまり疲れているという雰囲気が見えない人間なのだが。
「でも、まだまだ長瀬さんは頑張るつもりなんでしょ?」
「そうです。皆さん、主任に期待されていると思います」
「周りが許さないからね。まぁ、開発の最前線じゃなくて、もう少し研究寄りの方に引かせてもらいたいとは言っているんだが」
「研究ですか?」
 今ひとつ「研究」と「開発」の差がイメージできない浩之が言う。
「長瀬主任は、ロボット倫理学の博士号をお持ちなんですよ」
「ロボット倫理学?」
 浩之は、あまり聞いたことのない学問の名に首をかしげる。
「えーと、ロボット倫理学というのはですね…えーと、えーと…」
「まてっ、マルチ、こんなところでオーバーヒートされたら困るぞっ」
 目を回しそうにしているマルチに、浩之が言った。
「まぁ、その話は後でもいいじゃないかね」
「すいません…長瀬主任が博士号をお持ちだって事は単純にメモリーから呼び出せるんですけど」
 マルチが落ち込む。浩之がぽんぽんと頭を叩く。
「ここだよ」
 その時ちょうど、長瀬が歩道の左にある建物を指さした。まだ、駅から1分も歩いていない。
「わー…大きいですね」
「ほんとだな」
 そこには、巨大な美術館のような趣の洒落た建物があった。外観は、どっしりとしたダークグレーの石材で統一されている。浩之達の正面には、ガラスで出来た大きな出入り口の扉がある。歩道の街路樹からつながる木々に覆われているせいか、この辺り一帯に延々と建物が広がっているようにも見えた。
「なんか、あんまりロボット博物館って感じがしないんですけど」
 建物に向かって歩きながら、浩之が言う。
「そういうコンセプトでね」
「なんだか、すごく落ち着くような気がします」
 クリーム色とくすんだ赤のモザイクになっている道を三人は歩いた。近づいていくと、確かに『ロボット博物館』という文字が彫られているのがわかる。館内は電気が皓々と照らしているようだった。
「俺達の他にも、誰か来ているんですか?」
「事務の人に一人来てもらっているけどね。それ以外の人は誰もいないよ」
「へー…貸し切りですね」
「すごいです」
「かえって寂しいかもしれないけどね。まぁ案内するよ」
 やがて三人は入り口までたどりついた。長瀬が巨大なガラスの扉を引いて開ける。
「カギ、掛けていないんですか?」
「いや、開けておいてもらった」
「そっか、そうですね」
 三人が入った後、扉は元の位置まで戻っていく。相応の重さのせいか、音は全くしなかった。
 コツ…コツ…
 館内は、独特の涼やかさと静けさが支配していた。天井が非常に高く、長瀬の革靴が立てる音がよく響く。
 たん、たん…
 それに、浩之とマルチのスニーカーの音が続いた。
 照明は極めて明るかったが、館内が広いので多少光にムラが出来ている。逆に、暗いところと明るいところでグラデーションが生まれてしまっていた。それがますます館内の静謐さを演出している。
「浩之さん…」
 どことなく不安そうな声を上げて、マルチが浩之の服の裾をつかんだ。
「長瀬さん…なんか、随分暗い雰囲気を演出したんですね」
 会話が壁に反響する。
「人が入ればそうでもなくなると思うけどね。コンビニとかみたいな100%の照明にはしたくなかったんだ。美術館とかとも違うだろうね、あそこは演出して暗さを使っているわけだから。ここは、結構いい加減な暗さを使っていると思うよ」
「なんでですか?」
「それは、ここを一通り見終わってから話そう」
 その時、右側にある受付の方から誰かが顔を出した。白髪で銀縁の眼鏡を掛けた、人が良さそうな老人。きちんとYシャツにネクタイを締めている。
「あ、鈴木さん」
 長瀬が声を掛ける。
「すいません、お休みの時に。この三人で回らせてもらいます」
 浩之とマルチも頭を下げた。
「いえ、構いませんよ長瀬さん。ちょうど資料をまとめる作業がありましたし」
「じゃあ、帰るときにまた寄らせてもらいます」
「はい」
 鈴木と呼ばれた男性は、受付の奥に戻っていった。
「ここの事務の方ですか?」
「そうだね。個人的にも付き合いがあるんだけど」
 その時、ガ…と鈍い音がし始めた。浩之達の左側にあった巨大なシャッターがゆっくりと上がっていく。
 その向こうに、広々とした展示スペースが広がっていた。天井が高く、照明がどこかアンバランスだという事は変わらない。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
 シャッターがまだ全部上がりきらないうちに、浩之達は展示スペースに入っていった。
「やっぱり広いですー…」
 マルチはおどろいた表情で言った。
 基本的には、壁の方に文書や写真などの資料があり、スペースの中央の部分にガラスケースに入れられたロボットが配置されているようだ。そして、時計と逆の回り方で見ていくようになっている。
 長瀬を先頭に、浩之と、相変わらず服の裾をつかんでいるマルチ。
 三人は、ロボットが空想であった時代からロボットの歴史を見ていった。
 空想の次に来たのは、工業用ロボットだ。やはり日本のものが多い。自動車などの溶接を行うためのロボットが日本の工業生産を支えた事を記すと同時に、労働者の雇用問題も生んだ事を示している。この工業用ロボットだけで、かなりのスペースが使われていた。
 そして工業用ロボットの歴史が頂点を迎えようかという辺りになって、工業用のロボットに工場の労働者がアイドルの写真を貼ったり名前をつけたりする文化も存在していた事などが示されている。
 そこからしばらくは、工業用ロボットから汎用型、人型ロボットへの変遷に向かうための下準備のようなスペースだった。ロボットが空想だった時代の説明と同じような資料が示されている。そして、ロボットアニメなどのサブカルチャーも取り上げ、日本人がロボットに対する抵抗感をあまり持っていなかったという議論が展開される。
 その議論は、「それは、それほど間違った予測ではなかった」という言葉で終わっていた。
 続いて、転換期のロボット。愛玩用のロボペット、滑らかな二足歩行をする人型のロボット、ダンスを踊るロボット…「おもちゃ」の範疇に含まれるようなロボットではあったが、確かに工業用ロボットの歴史からの転換を感じさせるものであった。
 ここまでで、展示スペースの左端部分と上端部分がほとんど使われていた。浩之達が今いるのは、ほぼ展示スペースの右上隅にあたる。
「で、この後はメイドロボットなんかにつながっていく歴史ですか」
「そうなるかね」
「楽しみですー」
 展示が、それなりに固い説明を中心に展開されているにも拘わらず、マルチも浩之も退屈そうな様子を見せていなかった。
 三人は、展示スペース上端部分の最後にあたる写真に視線を動かす。




「先行者」



『2001年に中華人民共和国湖南省の長砂国防科学技術大学で開発された。同国初の人型ロボットである』


「…ぶっ」
 浩之が吹き出した。
 マルチは呆然としていた。
 長瀬は全く表情を変えなかった。仕掛人なのだから当然だが。
「こ、これ…」
 必死で笑いをこらえる。
「基本的な言語能力を備えている。当時の中国の新聞社は、これによって中国のロボット技術が日本のものに追い付いたと報じたそうだね」
 長瀬は淡々と言った。
「すごいですねー、中国さんって頑張り屋さんですー」
「マ、マルチ、あのな」
「はい?」
「い、いや、なんでもない」
 基本的な言語能力って…
 じゃあ、あの三角形の鼻は…飾り?
 視線を下にずらして…腰の後ろにあるのは…つっかえ棒
 股間にあるのは…バズーカ?
「…!…!……!」
「ひっ浩之さん!どうしたんですか!?」
 浩之はついに床にうずくまって笑い出した。股間のバズーカ砲から弾が発射される情景を予想して、笑いをこらえきれなくなったのだ。
 バカ笑いをする事すらしなかったが、そのせいでいつまで経っても笑いが収まらない。
「くっ…くくっ…ぶっ…」
「浩之さん、浩之さん、しっかりしてください!」
 結局浩之は1分以上その体勢のまま笑い続けていた。
「あー…はぁっ」
 やっとの事で浩之は立ち上がる。
「だ、大丈夫ですか…浩之さん、涙が出てますっ」
「わ、悪い、マルチ。大丈夫だ」
 浩之はポケットからハンカチを取り出して涙をぬぐう。
「はぁぁーっ……で、長瀬さん」
 出来るだけ「先行者」の方に視線をやらないようにして、浩之が問う。
「なんで、これがこんな所に…」
「そうだね。お客さんもびっくりするかもしれんね」
「びっくりっていうか…」
 また思い出し笑いをしそうになるのを、浩之は何とかこらえる。
 浩之は、展示スペースの右端部分が始まるところに目をやった。
『そして現代のロボット達へ』
「さっきのダンス踊るロボットの方が、百倍進んでいたような…」
「…シェンシージャ」
「え?」
 長瀬が突然言い放った。浩之は、長瀬が何か哲学的な観念のようなものを口にしたのではないかと思ってしまう。
「なんですか?それ」
「シエン・シン・ジェー。先行者。さっきのロボットの名前だ」
「あ…そうですか」
「かっこいい名前ですねー」
 浩之は、とりあえずマルチに構わないことにした。
「なんで、長瀬さんはあれをあんな所に置いたんですか?」
「シェンシンジャ。パイオニア、先駆者という意味らしいね」
「はぁ…」
 浩之はしばし考える。
「技術力が足りない状況で、それでも先へ先へ目指して出来るだけの事をする、そういう開拓者精神ってのが大事だって事なんですか?」
「いや。それは違うな。うん、そういう解釈もあったか」
「そういう解釈もある、って…」
「まぁ、とりあえず一通り見ようじゃないかね」
「はい…」
 三人は、これまでと同じようなペースでロボットの歴史を見ていった。ごく初期の人型ロボットから始まる。やがて浩之がマルチに話した事もある、金属がむき出しといった感のある無骨な手伝いロボットの展示も出てきたりする。
「これ、近所で使ってたの覚えてますよ」
「そうだね。この辺りになると、浩之君も見覚えあるんじゃないかな」
「さっきの奴、ひょっとしたら小さい頃に見たことあったかもしれませんけど…」
「まぁ、一般の普及はこの辺りから急激に進んだからねぇ」
「俺が中学ぐらいの頃じゃないですか。テレビで言ってたの覚えてます」
「そして…」
「あっ」
 マルチが少し頬を染める。
「HM−12、マルチの量産タイプだな」
「は、恥ずかしいです…」
 浩之がマルチを買ったときと同じままのロボットがガラスケースの中に立っている。電源は入っていないようだったが、目は開けていた。その目は、マルチに比べるとどうしても虚ろだ。
 隣に、HM−13、セリオの量産タイプも置いてある。
「こっからですか。人とロボットが外見上じゃ見分けがつかなくなったのは」
 浩之がマルチの頭を撫でる。浩之と長瀬の話にあまりついてきていなかったマルチは、一人顔を赤くしている。
「そうだね。マルチとセリオを最初と見てもいいかもしれないな」
「なんか、この一つ前までと明らかに違うんですよ」
「それは、来栖川の販売戦略にも関わっているんだが…」
「…なるほど」
 確かに、博物館に来栖川が出資したのなら、最新の技術の革新性を際だたせる展示がなされても当たり前のことだろう。
「で、終わり…と」
 後は、マルチやセリオの後継機種がいくつか並べられていた。
「でも、ここまでは年代によってロボットがどんどん変わっていくのがわかりましたけど、マルチとセリオの間ってあんまり変わり映えしませんね。数年しか経っていないんだから当たり前かもしれませんけど…」
「ふむ」
「これから、ロボットはどうなっていくんですか?」
「うん…」
 長瀬は曖昧に言う。
「…そういえば、『今こういうロボットが作られていますよ』っていう展示、ありませんね」
「そうだね」
 浩之の質問には答えず、長瀬は展示スペースを出ていった。浩之とマルチもそれを追う。
 鈴木に礼を述べて、三人は博物館を出た。入り口から出るとき、ちょうどシャッターが下りていく音が聞こえる。
「ふぅ」
 街路樹の隙間からの木洩れ日だけでまぶしかった。
「面白かったですね」
「そうか?なんか長瀬さんと話してばっかりで悪かったな」
「そんなことないですよー、色々なロボットさんが見られて面白かったです」
「長々とつき合わせて悪かったね」
「いえ、俺も面白かったです」
 長瀬は尻ポケットからタバコを取り出す。
「ん、一本か…マルチ、これと同じの買ってきてくれるかね?」
「はい主任、わかりましたー…主任のためにお手伝いするの、久しぶりですっ」
「道に迷うなよ」
 浩之が声を掛ける。
「大丈夫です、心配しないで下さい」
「ここにいるからな」
「はいー」
 マルチが歩道の方に駆けていくのを、長瀬と浩之は見送る。
 カチッ。
 タバコの箱から取り出した100円ライターで、長瀬はタバコに火をつける。
 ふっと軽く吸ってから、長瀬は浩之の方に向き直った。
「今日、浩之君からいくつか質問を受けたが…」
「はい」
「それぞれ、なかなか難しい問題でね」
「…そうですか」
「ただ、恐らくは君の最後の質問に集約されるだろう…『今後、ロボットはどうなるか』とね」
「はい…」
 浩之は自分の行った質問を思い返してみた。一つは…照明の話。もう一つは…「先行者」の話。思い出すだけで少々笑いがこみ上げてきたが、真剣な話の最中なので押さえ込むのは容易だった。
「ロボットに何を求めるかという話への答えとして、古典的なものがある…『人間と同じものを作る』だね」
「はぁ」
「これを現代にそのまま適用できるとは思わない。でも、一つの示唆は与えてくれると思うんだな」
 長瀬はまたタバコを吸う。
「人間とは全く違う姿形、行動を持つロボットが何でもこなしてしまう…そういう社会に、人は生理的な嫌悪感を感じてしまうのではないかとね」
「えーと…」
 やや理解に時間がかかる。
「つまりだ。金属で作った甲殻生物、カニとか昆虫みたいなロボット、そういうイメージって昔からよくあるよな?それで、そういうロボットが人類を滅ぼしてしまうってやつ」
「ああ、はい…」
「どんなにロボットが人間と同じ仕事を出来るようになろうと、人間ができない事を出来るようになろうと、見た目や行動パターンが人間から逸脱していれば、人間は違和感や不安感を感じてしまうみたいでね」
「そうかもしれませんね」
 浩之は納得した。
「…セリオに君も会ったって聞いたんだが…」
「はい」
「マルチと比べて、どうかね?」
「その、違和感や不安感って話で言えば…確かに、マルチの方がわかりやすいです」
 少しだけ考えてから、浩之ははっきりと答えた。
「見た目の上では、恐らくマルチもセリオも同等なんだがね。行動パターンという点では、マルチの方が数段人間に近く感じられる。それは誰もが言うね」
「なんて言うか…失敗とかするのが、逆に人間ぽいっていうか」
「それも、誰もが言うね」
 長瀬は言う。
「でも、発売されたHM−12からは、そういう部分は取り除かれている」
「ええ…」
 浩之は、マルチが初めて自分の家に来た時を思い出した。長瀬の送ってきたDVDで「マルチ」に書き換えられる前のマルチを。
「そんな部分いらない、ってストップがかかったんだな。上から。その辺、浩之君に愚痴ったこともあったかな」
「そんな事…言ってたかもしれませんね、長瀬さん」
「結果として、マルチのようなロボットは日本で一台という状況になってしまっている。他の国でも聞いたことないね」
「これから、たくさん作れるように努力するんですか?マルチみたいなロボットを」
 長瀬はタバコの煙をくゆらせる。
「さっきの博物館さ」
「はい」
「お客さんが入ってきて一番感じるはずなのは、あそこにいるロボットに対する違和感なんじゃないかと思うんだ」
「え?」
「実際に開館したら、あそこはロボットを実際に動かすこともするんだけどさ。あんな暗いところで、客に見られているっていう意識もなくて、平然と動き回っているロボットなんだよ?しかも、見た目は人間と同じ」
「うーん…」
 浩之はその光景を想像してみた。
「確かにそうかもしれませんけど…」
「演出されたわけでもない、ナチュラルな暗さ。そこに置かれた時、普通の人間が感じるのは恐怖だと思うんだ。これはちょっと個人的な意見入ってるけどね」
 やや早口に長瀬は言う。
「『先行者』で浩之君が一番感じたのは、見た目の違和感だね?見た目の違和感から人が直感的に感じるのは、『こいつ、自分とは違う行動の論理に基づいて行動してやがるな』ってことだ。だから、我々は見た目における人間との違いをなくすべく、ずっと努力してきた。浩之君…」
「はい?」
「君は、マルチを抱くかね?」
 長瀬は真剣な目で言った。
「は…」
 戸惑いつつも、浩之は長瀬の様子を見てはぐらかす事はできなかった。
「はい。抱きます」
「そうか」
 長瀬は強く確認するような声で言う。浩之の目も自然と真剣なものになった。
「そういう報告を聞いたのは、実は初めてだ」
「そう、なんですか…」
「行為だけに関して言えば、マルチとセリオ以降のロボットはする事が可能だ。ただ、その行為を後ろめたい感情無しに公にした人間は、初めてなんだ」
「は、はぁ…」
「非難しているわけではないよ」
「ええ」
「想像で言わせてもらえば、君がマルチを抱いて違和感を感じなかった理由は、少女としての普段の見た目、性器の見た目、性行為の機能、普段の行動パターン、『恥』の感情…そういったものの集大成じゃないかと思う」
「………」
 にわかには承諾し難かった。そういった分析は、受けて気分のよいものではない。
「不快を感じるのは当たり前だろうね。それは謝ろう。ただ、私が今言った要素のどれが欠けても、君はマルチを抱かなかったんじゃないかと思うんだが…」
「どれかが欠けたら…って仮定は意味がないと思います、マルチはマルチですから…」
「なるほど」
 長瀬はタバコの灰を叩く。
「HM−12と13、セリオからは、『性感』やら何やらのプログラムコードは全部引っこ抜かれているんだ。だから、仮に抱いたとしても、何の反応も返さないだろうね。そして抵抗もしないだろう」
「はい…」
「抱いている人間がいたとしても、それはマスターベーションであってセックスではないだろうね」
 浩之はマルチとの性行為を頭に浮かべる。
「逆に、君にとってマルチとの性行為がセックスであるなら…それは、人間がロボットを究極的に受け入れた行為であると言えるかもしれない…無論、『かもしれない』ではあるが、極めて重要な状況が生まれているのは間違いない。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』…古典だね」
「あんまり、考えたことはなかったですけど…」
 浩之は、長瀬の挙げたタイトルに関しては言及しなかった。メインの話題についていけなくなりそうだったのだ。
「浩之君が意識的でなかったというのも、重要な事なんだが…他にも、もう一つ重要な問題がある。『性感』のコードや『恥』のコードというのは、実はそれほど複雑なものでもなくてね」
「そうなんですか?」
「外部からの刺激・視線といったものに対して期待される反応を、記号体系としてまとめ上げるだけだ。例えば、『性器を触られた』という記号は『性的な興奮を感じる』という記号に翻訳されて、さらに『声を上げる』という形でアウトプットされる。今みたいなものを基本として、通るフィルターの数が増えていくだけなんだよ」
「た、単純ですか?それ…」
 浩之はだいぶ混乱してきていた。
「単純だよ、実際にマルチをプログラムした経験から考えれば、ね…」
 長瀬はタバコをくわえたまま、軽く視線を落とす。
「………とにかく重要なのは、最終的に表れてきた現象、いわば『表象』の束だけでも人間として認知されるということだ」
「というと…」
「つまり、君がマルチを判断する際に使えるものはマルチの表情、声、身振りといったものだけでしかないわけだが、それだけでも人間と同じだと感じるには十分ということなんだな」
「………」
 浩之は大きく息を吸い込みながら、天を仰いだ。木洩れ日がきらきらと視界を彩っている。
「…確かに、俺はマルチの中がどうなっているのか知りませんけど…」
 力を入れない、自然体の言葉だった。
「うん」
「それで、いいんじゃないですか?」
「そうか」
「長瀬さんの話、完全には理解してないと思いますけど」
「いや。全く構わない」
 浩之は体勢を元に戻して、長瀬の方に目をやった。
「まとまらない話で悪かったね。この問題は、私もまだ解決がついていないものだから」
「いいですよ。つまらない話じゃなかったですし」
「そうかね」
「この先、どんなロボットを作るんですか?」
「そうだね。浩之君みたいな事を言ってくれる人を作りたいかな」
「は?」
 浩之が素っ頓狂な声を上げる。
「いや、マルチみたいなロボットを作って、浩之君と同じような気持ちになってくれる人が出てきてくれれば嬉しいと思ってね。マルチとは……全く性格の違うロボットで」
「あ、そういうことですか…」
「うん。努力してみようかね」
 ジーッ。
 長瀬は鞄のジッパーを開けて、何かを探り始めた。そして、白い封筒のようなものを取り出す。
「これ。もらっといてくれるかな」
 良く見ると、商品券が入っているような紙のケースだった。来栖川エレクトロニクスのロゴが小さく印刷されている。
「俺、こういうの辞退するような出来た人間じゃないですけど…」
「その方がありがたいね」
「じゃあ」
 浩之はそれなりに厚さのあるケースを受け取った。
「また会いたいね」
「ええ、俺も。商品券目当てじゃないですけど」
「そうかね」
 長瀬は笑って、だいぶ短くなったタバコを吸った。
 マルチが帰ってきたのは、それからかなり経ってからだ。
「す、すいませぇんっ、初めての街だったので、道に迷ってしまってっ…」
「だから、言ったじゃねーか…マルチ」
「すいません、浩之さん…」
「まぁいいよ、ありがとう」
 長瀬はマルチからタバコの箱を受け取って、小銭を渡す。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「ごめんなさい、私が遅いせいで帰るのが遅れてしまってっ…」
「いいよ、浩之君と色々話も出来たし」
「そうだな。別に待ったって気はしなかったぞ、マルチ」
「で、でも…」
 上目遣い。
「いいって。帰ってメシ食おうぜ」
「すいませんでした…浩之さん、今日は何がいいですか?」
「そうだなぁ…あ、長瀬さんも今度都合がいい日があったら家(うち)に来てくださいよ。マルチが料理をご馳走しますから」
「いいのかね?」
「主任が来てくださったら、私張り切っちゃいますっ」
「じゃあ、もし機会があったら、よろしく頼むよ」
「俺はいつでもいいですよ。マルチも」
「はい、いつでも」
「済まないね」
「いえ」
「それで浩之さん、今日は何にしましょうか…」
「あ、そうだったな」
 そうして、三人は駅についた。
 長瀬は研究所の方に帰るらしかったが、浩之の家からそれほど離れた場所ではない。JRで新宿まで、それから私鉄というルート。
「じゃあ、私はここから各駅だから」
 とある急行停車駅で、長瀬は電車から降りた。
「そうですか」
「主任、絶対に来てくださいねっ」
「ああ。浩之君、マルチをよろしくな」
「わかりました」
「それじゃ…」
 ぷしゅー…
 ドアが閉まる。
 マルチはホームの長瀬が見えなくなるまで手を振っていた。


 その夜、浩之の部屋…
「あっ…あーっ」
 薄明かりの中、マルチの嬌声が響く。
「だ、だめですぅ…あぅっ、浩之さん…っ」
 ベッドに座り、全裸のマルチを膝に座らせて抱きかかえた浩之。左手でごくごく控えめな膨らみを、右手でつるんとした秘部をまさぐる。
 外見だけで言えば極めて未熟な性感帯。だが丁寧なタッチの愛撫を加えていくと、小さな乳首が精一杯の勃起を見せ始める。その幼い突起を転がし続けると、やがて秘裂の間から透明な液体がちゅくっとにじみ出る。
「いやぁっ…恥ずかしいですぅっ」
 顔を真っ赤にするマルチ。浩之は口を耳たぶに近づけて、甘く噛んだ。
「んぁ…」
 マルチの身体から力が抜ける。ちろちろと舐め続けると、耳たぶの所まで真っ赤に染まっていく。
「可愛いぞ、マルチ…」
 耳の穴にはぁっと息を吹きかける。それから、浩之はマルチの後頭部の髪に顔をうずめる。いつも同じ、さらりとした感触。上半身だけ裸になった浩之の肩にも、ほんの少しだけ髪の毛の先が触れる。
「ん…浩之さぁん」
 呼吸を熱くしながら、マルチは言った。
 秘部の液体は、一度あふれ出すと止(とど)まる事を知らない。ちゅく、ちゅくっと音を立てて、マルチの秘部はしとどに濡れそぼっていく。浩之が突っ込んだ指を、ぐちゅっとした感触と共に受け入れる。
「か、身体が…熱いですっ」
 浩之はマルチのクリトリスを探った。それは、秘裂の間に隠れてしまいそうな小さな部分。しかし、性感が高まるとかすかに勃起し、目でも指でも確認できるくらいになる。
「あー、あー、あーっ!」
 ごく微少な突起を撫でられただけで、マルチは切羽詰まった声を上げる。透明な液が、吹き出すように分泌される。
「マルチ…」
 浩之は、立ち上がりながらマルチの身体を床に下ろした。崩れ落ちそうになるマルチを後目(しりめ)に、浩之は下半身の着衣を脱ぎ去ってしまう。
 ペニスの勃起を露わにしたまま、浩之はベッドに仰向けになった。それに気づいたマルチが、ベッドの上にのぼってくる。
「浩之さん…」
 マルチは浩之の腰をまたいだ。そして、自らの指で秘裂を大きく割り広げる。
「ぬらぬらしてるぞ」
「いやっ…言わないでくださいぃ…」
 逆の手で浩之のペニスを柔らかくつかみ、秘部に狙いをつける。ぐちゅっと言う水音がする。
 そしてマルチは一気に腰を落とした。
「んあああぁー…」
 狭い性器の中に、浩之のペニスが勢いよく飲み込まれる。マルチは辛さと悦びの入り交じった声を上げる。
「ひ、浩之さんの、熱くて、固いです…」
「マルチのも熱くてぐちゅぐちゅになってるぞ」
「い、いやぁっ…」
 そう言いながら、マルチはずいずいと腰を上げ下げする。
「あー、あっ…」
「すげーぜ、全部見えてるぜ」
「だ、だめですぅ…でも、止まらないんですぅっ」
 涙をにじませて、しゃくり上げているような表情を見せながらもマルチは抽送をやめようとしない。細い腰が激しく運動を繰り返す。
 浩之もそれに合わせて腰を振った。マルチの締め付けと腰を振る運動が十分に強いため、それほど強い動きではない。それでも、浩之が腰を突き上げる度にマルチは身体を硬直させて悶えた。
「ん、んぅ」
 十分性感を高めたように見えるにも拘わらず、マルチはなかなか極みに上りつめなかった。浩之の快楽を引き出すべく、微妙に動きを変えた抽送を延々と繰り返す。
「マルチ、そろそろ…」
「は、はい、私もそろそろです」
 マルチは腰の振りを一層強めた。浩之もそれに合わせて腰を振る。マルチの最も奥深くの部分に、剛直ががんがんとぶつかる。
「ひ、浩之さん、私、もう、だめですぅっ」
 マルチが言った。同時に浩之は射精した。
 びゅっ、びゅっ…
 マルチの体内に放出される白濁液。糸が切れたようにマルチは浩之に倒れ込んできた。
「な、中で、熱いのが出ているのがわかります…」
 はぁ、はぁと息を荒げつつ、マルチは嬉しそうな声で言う。
「マルチ…」
「んっ」
 浩之はマルチと静かに唇を重ねた。
「………」
「………」
 完全に放出を終えてから、浩之はキスをやめてペニスを引き出す。
 マルチは、浩之の前にひざまづいてそれを口で清めた。
「飲んで差し上げる機能がないのが、残念です…」
 口元を抑えながら、マルチが言う。
「いいよ…十分だ」
「すいません」
 マルチが部屋を出ていく。液をどこかに捨てに行ったのだろう。
 浩之は脱ぎ捨てた着衣を部屋の隅に放り、パジャマに着替えた。
 やがてマルチが裸のままで帰ってくる。
「浩之さん、今日はもういいんですか?」
「ああ。いいよ」
「はい。お休みになりますか?」
「そうだな」
「じゃあ、ちょっと待ってください。私も服を着ちゃいます」
 マルチが服を着ているのをながめながら、浩之はベッドに上がって布団をかぶる。そしてぼんやりと考えを巡らせた。
「なぁ、マルチ」
「はい?なんですか?」
 ボタンを留めながらマルチが言う。
「…いや、なんでもない」
「?」
 すぐにマルチは服を着終える。
「じゃあ、浩之さん。おやすみなさい」
 ぺこりとお辞儀をした。
「マルチ、あのさ」
「はい」
「お前、うまくなったよな」
「え?」
「俺とするの」
「あ…」
 ちょっとだけ視線をそらして、顔を赤くする。
「浩之さんに、色々教えてもらいましたから…」
「…そうか」
「主任には言えませんけど…これも、浩之さんから教わった事の一つですし、浩之さんが喜んでいるのを見ると、私は嬉しいです…」
「うん…わかった」
 浩之は優しく笑みを浮かべる。
「じゃ、お休み」
「はい。おやすみなさい」
 マルチは部屋を出ていくときに、ぱちっと電気のスイッチを切っていった。
 闇に包まれた部屋。一人残された浩之。
「はぁ…」
 自然とため息がもたらされる。長瀬の言葉。
 浩之はマルチの思考の経路について考えたり、マルチの行動の表層部分だけを考えるように努力したりしながら、いつの間にか眠りについていった。