(※2009年7月23日に書いた記事を転載しました)
ぶっちゃけ、振り返ってみるとeraシリーズはサークル獏作のものも派生で作られたものも「やりこめるゲーム」にあまりなっていなかった気がします。
リソース管理、知識習得、定石構築、対応力……
「やりこめるゲーム」=「たくさんプレイ時間を費やしたゲーム」ならいいんですが、改めて考えてみると佐藤敏の考えていた「やりこめるゲーム」は
- ローグライク(私のやったのは不思議のダンジョンばっかですが)
- Civilization(同じくやったのは4ばっかですが)
- MTGなどのカードゲーム
こんな感じだった気がします。
アイテム、お金、資源、カードなどの「リソース」があり、それを効率的に活用するための「ゲーム知識」をフルに蓄えて、「定石」を作りつつ「突発的」状況に対処していくといった類のものですね。
例えば風来のシレンアスカ(特に持ち込み不可ダンジョン)なら……
- 「序盤で拾ったアイテム」というリソースがあり、
- 「アイテムを売却値で鑑定」「○○階から危険なモンスターが出る」「○○の盾の印スロットは5個」「下りの店で落とし穴があれば100%泥棒できる」などのゲーム知識、
- 「弟切草を盾に入れる」「おにぎり稼ぎ」「矢稼ぎ」「回復の剣作り」「トド狩り」などの定石、
- 「特殊モンハウ」「泥棒しづらいが見込みのある店」「オオイカリの発生」などの突発的状況
eraシリーズはやりこめるゲームだったのか?
で、eraはこういう種の「やりこめるゲーム」にいくらか近いようにも見えますが、そういうゲームの魅力に近づけているかというと、否ではないかと。
やはり「やりこめるゲーム」の肝はいつも微妙に違う状況の中で的確に対処し、効率のよい定石に落とし込んで突発的状況が起きてもどうにか乗り越えるという点にあるのだと思います。
erakanon以来の珠システムを念頭に置くなら、リソースは大体いつも同じ、覚えるべきゲーム知識もさほど多くはないしそれを覚えないと致命的という知識は少ない。定石は作れますが、起きることはだいたい同じでランダム性は否定の珠の打ち消しくらいなので、突発的状況も起こらない。
この状態では上記の「やりこめるゲーム」のような魅力はなかなか出てこないのだと思います。強いて言えば、ランダム性は低めだが成功確率がきわめて低く、何度も繰り返し挑戦しないといけないドラクエやFFの低レベルやりこみに近い状態かもしれません。ただその手のやりこみは、
- 非常に多くのアイテムやモンスター、特技魔法などがある中から驚くべき手法を見つけ出す
- 厳しい制限(LV1クリアなど)を、多くの人が「普通に」プレイしたゲームでやるという驚き
などがあってこそだと思います。eraの進む道としてはちょっと難しいでしょう。
幸いと言うべきか、eraの「基本パラメータ・パラメータ・能力・素質・経験・刻印・珠・相性」あたりでキャラを造形するという発想は割と間違ってなかったようで、多くのキャラが作られてきました。Hに関するものだけではなく、歌や料理などにこのシステムを拡張する方もいるようで、「仮想のキャラと何かをして、その反応を得て、それが蓄積されていく」のを表現するには結構いいシステムだったのかなと思っています。一部で「嫁メーカー」なんて言われてるバリアントもあるみたいですし。
さて、サークル獏として作りたかった「やりこめるゲーム」を作るにはeraの路線で行けるのか?全く別の方向から行かないといけないのか?
難しいところですが、いわゆる従来のeraみたいな相手の女の子と1対1の状況を想定したとき「リソース」や「突発性」を表現するのはなかなか難しいことだなあというのは思っています。